ー編集中ー 今日の朝ごはんは、中国人Jからもらった「米」を、先日僕の引っ越しの時に若い夫婦から頂いた「炊飯器」で炊き、スペイン人M&Nからもらった「お茶漬け」で食べる。 昨日旅立った友人たちは、それぞれいろいろなモノをくれた。 使い切れなかった食材、持って帰るには重すぎるモノ…。 今、アーティストインレジデンスに滞在中。アーティストインレジデンスとはアーティストが滞在しながら制作できる施設で、ここは東京都が運営している青山の施設だ。僕自身は一年間の滞在制作でここに応募して4月から滞在が決まった。他にもたくさんの外国人アーティストも滞在していて、昨日は2ヶ月滞在していた何人かのアーティストとお別れをした。 移動や共同生活はモノを混ぜる。文化やモノや人を。 #
by homemadestory
| 2010-05-28 10:18
[ Home-Made Story3 ] 母親の料理 at N宅 [東京四ッ谷] 〜編集中〜 大阪でイベントが終了して東京へやって来た。 10年生活した東京だけど、今は家がない。 東京へ来たときは生、シェアしている暗室で仮眠するか、友人宅の泊めてもらうことが多い。今回は3泊ほど、Nの家に泊めてもらうことになった。 Nは彼女と同棲している。同棲しているワンルーム部屋にお邪魔するのは常識的にはまずいのは僕も知っている。でも、Nの家は居心地がよくてつい行ってしまう。「僕にとってふたりともが大学の時からの友人であり、さらに彼女はNと付き合う前から、パリでよく遊んでいた友人でもある…」というのは嘘ではないが、勝手に自分の理由にして、N宅へ上がり込む。 彼らの出会いは昨年のある日、Nが彼女がパリで泣いている夢を見て、数年会っていなかった彼女に突然メールをしたことに始まるらしい。しかもその日なぜか彼女もNの夢をみた…、そうだ。なんども、両者に聞いてみたが、どうやら本当らしい…。僕がパリで暮らしていたとき、久しぶりに彼女に再会した。彼女は大学卒業後デザインを学ぶ為に渡仏してから、パリで5年の月日が流れていた。知らないパリを彼女が案内してくれた。カフェに入りフランス語で注文してもらう。「パリではどう?」って言う僕の質問に彼女は「バイトが忙しくて、生活に流されてる」と少し曇った。パリでの生活に埋もれるように、デザインへの夢を見失いそうになっているように映った。Nはそんな彼女をメールやスカイプで相談にのった、さらに、彼女がパリでひとつ目標にしていた、デザインのコレクション展示発表を果たす為に陰で尽力し、ついに現実になった。そして、パリまで迎えにやって来て、昨年末からこの町で同棲をはじめた。 今彼女は悩んでいたあの頃の少しあった陰のようなモノが吹き飛んだように、大学の頃のパーーッとはれるような雰囲気が帰って来た。デザインの仕事も順調らしい。Nは本当にできる男なのだ。 ところで、そんなふたりの奇跡に比べればどうでもいい話なのだが、この家/三人の間で、些細な奇跡が密かに続いていた。それは、僕がNに家に泊めてほしいと連絡をいれるタイミングと、なぜか食卓に魚料理が並ぶタイミングがピタリと合うのだ。それは彼らがわざわざ用意する訳ではなく。例えば、僕が「明日泊めて」と電話をかけたときき限って、電話口で彼らは魚屋で魚を選んでいたり、「悪いけど今から行ってもいい?」と電話をするとまさに今食卓で魚を食べようとしていた瞬間だったり。もう4回5回は続いているだろうか、最近彼らは恐ろしがっている。「魚とともにアイツがウチへやってくる」と…。 しかし今回は魚はなかった。遂に魚の奇跡は終わったのだと僕は少し残念に思った。Nは「今度はおまえが自分で持ってくる番なんじゃないか。魚の人がやって来た、って感じに毎回ね」と茶化し、僕もそろそろそうしようかと思った。 夜仕事が終わった彼らと待ち合わせて、三人で近所のスーパーに買い出しに行った。このプロジェクトの話は前日に話していた。二人ともお互いに相手の知らない話を料理と共に食卓に用意してほしいと。 二人とも料理も話も内緒にしながら、食材を選びかごに入れる。彼は夕食に春雨のサラダと育てているぬか漬けを出した。それだけでは少し足りないので、僕もシーチキンのパスタを作った。一応、魚料理。彼女は翌朝に朝食を出すlことになった。なぜだか偶然にも、三人の料理の話は、母親にまつわるもの/母親が作ってくれた料理だった。それぞれの家庭のまったく違った料理と話が食卓を飾った。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [ Home-Made Story] 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 『上京パスタ』 「これならあんたでも作れるやろ。絶対に失敗せえへんから」と、大学に受かって上京する僕に、母親が教えてくれた。それまで料理なんてしてなかった僕に伝授した簡単料理。パスタの上に大根おろし、その上に缶詰のシーチキンを乗せ、ポン酢をかけるというシンプルなモノ。 夏は冷製パスタにポン酢。冬は温かいダシをかける。すでに10年位はつくっているから、それをベースにたくさんのアレンジが増えている。 :::::レシピ:::::: ー材料ー 大根おろし、シーチキン、大葉(すべて適当) ー作り方ー 大根をおろす。シーチキンの油を少し切って、梅肉とごま油を混ぜ合わせる。お好みで大葉や瓶詰めナメタケや海苔をトッピング。 (下道) 『暖かい牛乳にコーンを入れたもの』 幼い頃、寒い冬の朝、よく母親が作ってくれた飲み物。 暖かい牛乳に缶詰のコーンを入れたもの。 美味しくて、「もっともっとコーン入れて!」って、良くお願いした。 今考えてみると、たぶんこれは母流のコーンスープだったような気がする。 久しぶりにこれを飲んで、残念ながらこれはコーンスープではない別の飲み物だと思った。 私の中で普通だったが、母は少し変わっていたのかもしれない。 他にも朝食で、生卵が殻のまま出てきて、少し穴を開けて、ストローで吸っていた記憶がある。 :::::レシピ:::::: ー材料ー 牛乳、コーン(缶詰) ー作り方ー 牛乳を温める。コーンを入れる。 (女性/31歳) Nは彼女と同棲をはじめたころにひとつの絵を描いた。それは、何もない草原のような場所にたつシンプルな平屋の家の絵。それ以外は何も描かれていない絵。彼は言った「ここに二人で住みたい家のイメージを描いていくんだ」と。それは描き加えるるための絵。二人の家。 ただ、それから数ヶ月たったが、彼女は面倒くさがって、そのまま放置されている…。 朝起きて彼は言った。 「また、恐ろしいことが起こった…」 「実は、親からメールがあって、今日実家から「魚」が送られてくるらしい…」 3人は腹を抱えて笑い転げた。些細な奇跡は続いていたのだ。 #
by homemadestory
| 2009-10-30 00:33
| story3
[ Home-Made Story2 ] 打ち上げパーティー at モトタバコヤ [大阪此花] 7月からの山口県1ヶ月滞在を終えた。 8月からは急遽2ヶ月間またおかしな仕事が入り、大阪に住むことになった。 それは水都大阪2009というアートイベントが大阪中之島で2ヶ月間行われ、そこへ入れ替わり立ち代わりやってくるアーティストや関係者のためにオープンする、期間限定で臨時ゲストハウス『モトタバコヤ』の管理人というもの。さらにそれとは別で、そのイベントのゲストアーティストKOSUGEさんの現場サポートとしての臨時の仕事。 両方の仕事とも有り難いことに、それぞれ給料が出る為、2ヶ月で少し貯金もできそうだった。そして、ゲストハウスのある大阪の下町の風景も魅力で少し住んでみたいと思ったあった。あと何より、ゲストハウスの住み込みの管理人として、日本中を行き来しながら活動を続ける同期や先輩アーティストに単純に「どうやって生きている…」とかいろいろ聞いてみたい、という気持ちが強かった。 《昼》は、真夏の炎天下の中、毎日行われるイベントでのKOSUGEさんのお手伝い、現場では多くのアーティストやスタッフと接した。このイベントは10年程前から日本全国で盛んに行われている地域型/都市型アートイベントの大阪版で、良くも悪くも巨大な文化祭のような、期間限定の部活動のような現場。それが2ヶ月続くわけで、スタッフはお互いに仲良くなっていった。 《夜》は『モトタバコヤ』の管理人。業務プラス、毎晩ゲストとの宴会(芸術夜話?)が繰り返される…。 ちなみに、モトタバコヤは、高齢化等で空き家が増えた大阪市此花区梅香町に活気を取り戻すため(?)、地元有志とアーティスト等が取り組むイベントの一環で、地域のコミュニティスペース/公民館として、2008年から利用されていた、元タバコ屋の空き家の名称。今回の期間中はイベントの為に日本全国からやってくるアート関係者などにこの町を知ってもらおうと、イベントのサテライト的に格安の宿(1泊1000円)としてゲストハウス化した。つまりは、ここも地域型のアート系事業の実験台ということだ。 2つの仕事とも、今まで知ってはいたものの、あまり接することのなかった地域系のアートイベントやその辺りで動き回っているアーティストの実情が少しは垣間見れたし。九州から北海道まで日本全国から集まってくるアーティストと、毎日面白い話からくだらない話まで無差別に話し吸収する…、そんな濃厚な2ヶ月だった。 高校の頃、ポールオースター原作の映画『SMOKE』をすごく気に入ってしまい、ビデオで何度も何度も見た覚えがある。内容は、ブルックリンのタバコ屋を舞台に、ハーヴェイ・カイテル演じる渋いタバコ屋の亭主と、そこにやってくるお客たちとの人間関係のストーリー。 実は、この『モトタバコヤ』に下見に来たとき、ピンときた。交差点に立つタバコ屋の立地や、(大阪府とニューヨークでは見た目は大違いだけど)下町的な町の雰囲気など、映画の舞台と結構似ていて、「なにか素敵なことが起こりそうだなぁ…」と、ぼんやりとした期待をしていた。 そして実際2ヶ月ここで管理人をしてみると、お客さんが人が入れ替わり立ち代わりやってきて、自分とお客さんやお客さん同士など、人と人との関係や物語がどんどん繋がって混じり合って行く。それはまさに大阪版『SMOKE』の世界に自分が巻き混まれているようで、その雰囲気をタバコ屋の亭主ではなく管理人として、こっそり楽しんだ。 イベントが終了した翌日、KOSUGEさんのスタッフの打ち上げパーティーが、モトタバコヤを貸し切って行うことになった。(これは自分にとっては2つの仕事の打ち上げになった。) イベント期間中に仕事をしながら密かにリサーチを繰り返し、スタッフ5人の各1品&1話をメニューとして編集した『Home-Made Story』を、このパーティーに差し込む/コラボレイトすることにした。 打ち上げパーティーの合間に、ゲストハウスのキッチンを利用して、5人にそれぞれ料理を作ってもらい、タイミングを見計らってテーブルに出してもらい、その都度発表会が始まるのだ。 打ち上げに集まったみんなは、アーティストKOSUGEを中心に2ヶ月間ずっと一緒に働いていたし、すごく仲良くなっていたし、大学生の女性が多かったこともあって、夏合宿最後の日にみんなで秘密の話/恋愛話をするような…、そんななにか学生ノリの甘酸っぱい雰囲気になった。 今日でこのメンバーは解体される…そんな別れを惜しみつつも馬鹿騒ぎは朝まで続いた。 (そして翌日、近所から苦情がやって来た…) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [ Home-Made Story2 ] 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ::::::メニュー&レシピ:::::: ・パーティー餃子 ・生春巻き ・冷凍唐揚げ ー作り方ー 冷凍唐揚げをレンジでチン。あとは味のほとんどついていない卵焼きとセットに、タッパーに入れるだけ ・中華風コーンスープ ー材料ー クリームコーン(缶詰)小1缶、牛乳2カップ、固形ブイヨン1個、塩少々、砂糖少々、コショウ少々、ごま油小さじ1~2、片栗粉大さじ1/2、水大さじ1 ー作り方ー 片栗粉と水を合わせて混ぜる。鍋にコーンを入れて、牛乳を少しずつ加えて溶きのばす。固形ブイヨンを加えて中火にかけ、木部らで混ぜながら3分煮る。ふつふつしてきたら、味を見ながら塩・コショウ・砂糖で味を調える。 いったん火を止めて、1を指でよく混ぜてからまわしいれ、すぐにきべらで混ぜる。再び中火にかけてとろみをつける。仕上げにゴマ油をたらしてまぜる。 ・長崎のおまんじゅう ー材料ー (あんこ)小豆300g 砂糖280g (皮)薄力粉500g ドライイースト18g(水100ccでとく) 水100cc 砂糖少々 ー作り方ー 前日に小豆を水につけてもどす。もどした小豆を鍋で煮てあくをとる。水分がなくなりあんこの状態になるまで火にかける。最後に砂糖をまぜてあんこのできあがり。 皮は、薄力粉に水で溶いたドライイーストを少しずつ足しながらこねていく。ドライイーストを足し終わったら、砂糖と水を足していく。手に着かなくなるまでこねる。 1個分のサイズにちぎって、あんこを入れて丸めて、発酵してふくらむのを待ってから15分程度蒸し器で蒸して、できあがり。(約20個分) ::::::ストーリー:::::: 『パーティー餃子』 ウチのパーティーの主役とえいば、お寿司でも唐揚げでもなく、なぜか幼い頃から、餃子でした。 パーティーの準備のために、みんなで餃子をたっくさんつくり、テーブルに置かれたホットプレートで山盛り焼く。それが、ウチのパーティーの風景。 (兵庫在住/大学生/19歳女) 『生春巻き』 好きな人の誕生日にパーティーをすることになった。 その頃、アジアンレストランで働いていたこともあって、得意の生春巻きをパーティーに持って行く為に、朝から準備して、冷蔵庫にラップをして入れておいた。 夕方、パーティーに持って行こうと、冷蔵庫を開けてみると、 生春巻きはカピカピに乾燥し、くっついてボロボロになっていて、悲しくて持って行かなかった…。 他の友人は彼の好物をいろいろと持って来ていて、彼が喜んでそれらの料理を食べていたるのを眺めた。 数日後、私の主催するパーティーに彼が来ることになったので、リベンジとばかりに生春巻きを完璧に準備していたが、その日に限って彼は来なかった。 彼が食べたことのない生春巻き。 (東京在住/26歳女) 『冷凍唐揚げ』 付き合って少し経った彼がいた。 私は実はそこまで好きにはなれなかった。 でも彼はいい人で、なかなか別れを切り出せないでいた。 あるとき、ピクニックに行くことになって、お弁当を作った。 そのとき、とても素っ気ないお弁当を作った。 冷凍の唐揚げを見るたびに思い出す。 (東京在住/27歳/女) 『コーンスープ』 これは彼がわたしに作ってくれたコーンスープです。 私はもうすぐ就職活動ということもあり、夏休み明け、毎日そのための講座があり 将来の不安や、その講座のストレスで疲れているときに いつものように泊まりにきた彼が「明日は俺が朝食を作るよ」といってくれました。 その日の朝、彼に甘えて、私はゆっくりベットに横になっていました。 台所では、彼が明日の朝食の準備をしている音が聞こえました。 彼が台所にたっていることがなんだか新鮮でした。 次の日の朝、彼が作ってくれた朝食は、ポテトサラダとホットドックとこのスープでした。。 (大阪在住/大学生/21歳/女) 『長崎のおまんじゅう』 幼い頃から、毎年お盆に長崎のおじいちゃんおばあちゃんの家に家族で帰った。 そんな時は決まって、おばちゃんはお昼におまんじゅうを作ってくれた。 本当においしくて、いとこや親戚が集まっていると、おまんじゅうはすぐになくなってしまった。 あんこを入れて丸めるところは、子どもたちも手伝ったが、難しくて皮が破れてしまった。 何度か、母親にそのおまんじゅうを作ってくれるようにたのんだけど、レシピをしらないのか、面倒くさいのか、一度も作ってくれなかった。 今年の夏、長崎に帰った時に、作れるようにおばあちゃんに習った。足が悪いのにわざわざ台所まで来てくれて、細かく指示してくれた。昔より丸めるのもウマくなったし、味もおいしくできて、おばあちゃんも「うまか!」と言ってくれた。 (京都在住/大学生/21歳/女) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 パーティーの翌々日、やっとパーティーの残骸の後片付けも終わり、2ヶ月暮らしたモトタバコヤで、ひとりぽつんと引っ越し作業をはじめた。 すると、ガシャンガシャン…、モトタバコヤの土間のシャッターを動かしている音する。驚いて外に出ると、かつてここでタバコ屋をやっていたおばあちゃんがそこに立っていた。 「おにいちゃんかぁ、まだここに暮らしてくれてるんやなぁ…。ありがとねぇ…」 タバコ屋をやめて数年、今は少し離れたところに娘さんと元気に暮らしているらしいが、たまにこの家が気になってやってくるのだ。 「2階で寝てはるの?あそこ床の間もあるから良いやろう… この家の木材は私の親の山から持ってきた良い木やから、丈夫でしょう」 おばあちゃんは愛着のあるまなざしで家を眺めながら話す。僕は、このモトタバコヤでおこった2ヶ月のこと、今日でココを出て行くことを話した。おばあちゃんは、話が分っているのかほんやりとそれを聞きながら、お礼を言い深々とお辞儀をして、家の方へ帰っていった。 おばあちゃんのタバコ屋だったこの家には、今でも店舗スペースだった土間や、柱に貼られた神社のお守りとか、壁に残ったキズや、生活の痕跡がたくさん残されている。そんなザラザラした家のノイズを、僕は気に入っていたし、そのままにしておいた。 そして今、僕がここに来て2ヶ月で、たくさんの人と過ごし残していった痕跡(天井にはパーティーの時に作った紙で作ったカラフルな輪っか、壁にはアーティストが貼っていった絵や文章…)が、おばあちゃんの残した空間内でコラボしている。 この町自体にもそんなノイズに溢れている。宿泊客がこの町の良さとして「昭和っぽい」と言っていたが、それはただのレトロとかノスタルジーではなくて、おそらくこの町の風景のなかに残っているざらついた生活感や人と人との繋がりの風景、そして窓から入ってくるおばちゃんや子どもの会話や音…、そんなノイズなのではないかと思う。 それは逆に言うと、日本の色々な場所でそんなノイズは消えていって、フラットで生活感のない風景が広がっているということなのだろう。 この町が持っている生活感はココが工場地帯の住宅地として誕生した経緯のなかでゆっくりと育ち、それを残しながらも今、ゆっくりとその機能を終えようとしているように感じる。近所の千鳥橋駅の裏の停滞し澱んだ運河が、埋め立てられ新しい道路や公園に変わっていくように、この町も今後新しく生まれ変わっていくのかもしれない。 それは仕方のないことなのだろう。ただ自分も含め今回この場所に少しだけやって来た人にとって、この風景が失われていくことは残念に思ってしまうのではないか。 ただ外部の者が、「保存しよう!」なんてことは言うつもりはない。ただこの町の生活が作り出したここの風景の流れが停滞しないための少しの仕組みとして、この町と寄り添いながらコラボし年を重ねていく機能が、このモトタバコヤや町を使ったプロジェクトで生まれるといいなぁ…と、モトタバコヤの祭りのあとの静けさのなかでそう思う。 イベントが行われた暑い夏は過ぎ去り、町の路上花壇からはキンモクセイの香りがしている。窓から豆腐屋のカランカランという音が聞こえてきた…、ヤバい早く片付けなければ、ラーメン屋台のチャルメラが聞こえて来る時間になってしまう…。 (つづく) #
by homemadestory
| 2009-10-16 15:10
| story2
[ Home-Made Story1 ] 海へ行った夜 at Maemachi Art Center [山口市湯田温泉] 山口市の静かな住宅地に「Maemachi Art Center(通称:MAC)」はある。 名前だけ聞くと、コンクリートうちっぱなしか何かのおしゃれなアート空間を思い浮かべそうな名前だ。 しかし、実際は湯田温泉の歓楽街を抜けたあたりに立つ、結構ぼろい日本家屋一軒家。4年前に僕の個展で出会ったハットリくんと、その友人で僕も2年前にグループ展で一緒になったことのあるダイヤ君がシェアして住んでいる、ただの住居だ。 いや、ただの住居ではない。町からも近く物静かな住宅地にあり家のすぐ隣を素敵な小川が流れていて環境も居心地も素晴らしいことや、住人ふたりが秋吉台芸術村と山口情報芸術センターの関係者であることもあって、この家はアーティストや関係者のたまり場になっている。そして数年前、友人のトールがここに滞在し飲み会の席で、この家に「Maemachi Art Center(通称MAC)」と名付け玄関に看板まで制作して以来、なんとなくアート関係者のたまり場化していたこの家は、オルタナティブなアートスペースとしての機能や意識が芽生えた。今回はじめて行ってみると、家中の至る所にアーティストが置いていった作品やメッセージが残されていて、ローカルの良さを意識しつつ楽しんでいる、おかしな家になっていた。 さらに今回僕がここに来たのは、Re-Fort PROJECT Vol.5「砲台山から日食の日に花火を打ち上げよう」という企画の為なのだが。その為、イベントの為の資金が必要なので、ハットリ君とダイヤ君(あと山城くん)は、今までこのMACで行われて来た数々の宴会やアーティストの雑魚寝等を、「アートトークイベント」「滞在制作」等の聞こえの良い文章に書き直し…いや決して嘘をついている訳ではなく、実際にトークも制作も行われ人も集まっていた…、そこに名前を少し付けだけで、書類を作成した結果、町から助成金を取ることに見事!成功した。(彼らはそういう仕事のプロである) いやはや、名前とはそういうものかもしれない…。ただ家にそれらしい名前をつけただけなのに、スペース自体がその名前に近づいていく…、さらにそこで行われていた宴会や話や雑魚寝もイベントにすり替わりって、Art Centerとしての能力を持ってしまったことは本当に面白い。 このプロジェクトのために、今回1ヶ月間、MACにプロジェクトの内容を詰めながら完成する為にやってきた。 その他にも、プロジェクト代の助成金以外の必要経費と、自分の滞在費を捻出するために、ハットリ君ダイヤ君は友人知人伝に、山口市内のおしゃれなカフェバーで1ヶ月間ランチタイムにウェイターをする仕事(&そこでの展示)と、地元大学等での特別講義などの仕事を用意してくえた。昼間は地元で仕事、夜はMACでメンバーと話し合い&宴会。さらにこの「Home-Made Story」の元となる生まれてはじめてのワークショップをハットリ君企画で行ったりもした。本当に良い経験を与えてくれた。 個展、ワークショップ、連日のミーティング、カフェでの仕事、ラジオ出演、大学講義、暗室籠り、温泉、ビール、雑魚寝、ドライブ、刺身、温泉、ビール、ミーティング、カフェでの仕事…。 MACはいろんな地元の人が面白い集まってくる場所で、なんだかんだ毎日仕事をして遊びまくって大忙し日々だった。 山口市の雰囲気は、日本で一番人口の少ない県庁所在地で新幹線も止まらないせいか、のんびりしていて、温泉も海も山もあり、料理も酒もうまい、手を伸ばすと何でも手に入る部屋のような、でも東京のような情報や商品という意味ではない、本当に住んでいて気持ちのいい贅沢な場所だった。(ハットリ君は「いい本屋が欲しい」と嘆いていたが…) プロジェクトが無事終了した翌々日、忙しくしながら「全て終わったら海に行きたい!」と言っていた企画を実現すべく、打ち上げと称して、海へドライブすることにになった。三十路を超えた3人で前日からせっせと海へ行く準備をし、朝まだ明けていない時間にMACを出発し、途中仕事先の同僚の女性(ストーリーをアップするため名前は伏せておく)を乗せた。山口を内陸へ向かい日本海を目指す。田園風景に夏の空に雲、車内は妙なハイテンションでの4人。 しかし、山を越え、日本海に抜けるとそこは嵐だった…。本州屈指の青い海角島のビーチに人はまばらで、波は荒いし、とにかく寒かった。だけど、泳いだ。凍えた体は帰りに温泉で暖めればいいのだと、その日は全力で前向きだった。 海も飯も温泉も終え、青青とした秋吉台の広大な草原をドライブしながら、家に帰る途中、「想い出や物語が詰まった、自分だけの料理ってあるか」という話になった。 ダイヤ君は「大学生の頃にすっごくお金がなくて、小麦粉をこねて焼いて食ってた料理かなぁ。なんかゴツゴツしてて、アフリカのパンみたいだったよ。アフリカのパンなんて、見たことも食ったこともないけどイメージでね」。 ハットリ君は「レシピはないんだけど、鍋とか宴会とかをMACでやった次の日の朝、冷蔵庫に残っている昨日の食材を物色して朝食を作るのが好きなんだよねぇ」そんな話をしてくれた。 あぁ、「アフリカのパン」「宴会の翌朝のアリモノ朝食」かぁ…、美味しい料理には作り方や食材のストーリーは語られても、些細な個人的な料理のストーリーって語られないし、面白いなぁ…、と思った。 以前MACに遊びに来た外国人のアーティストがMACの障子に「Heartbreak pasta」のレシピを書き残してあるという話も出て来た。 ただひとり残った女性は、元彼とのエピソード付きのタコライスの話をした。彼女のものすごくアバウトな料理に、男子3人とも爆笑。帰ったあと、是非!MACで実際に作ってほしいと嫌がる彼女に頼みこみ、そのまま食材をスーパーに買い込んで帰った。 ダイヤくんが少し職場に行っている間に、残った3人でビールを買い込んで河原へ行った。夏の夕暮れ、河原の草原の上に寝そべって、お互いの将来のコトを話した。他に河原でのんびりしている人はいなかった。 昨年パリに居る時、も、時間はたっぷりあって、公園やセーヌの河原や図書館でぼんやり散歩したり本を読んだりり友人と宴会や食事をした。すごく気持ちのいい時間だった。 木や水があって、のんびりしていて、脳や悩みがすっきりして、急にアイデアとかが降ってきたり、そこには素敵な空間と時間があった。 でも帰国して最近、日本で公園や河原や図書館で昼間っからぼけっとしていると、なんだか人生の敗北者のような気がするのはなぜだろう。みんなのように普通に朝から会社とかに行っていない劣等感のような社会に参加していない疎外感のような。とにかく、公園や河原や図書館にはそういう空気がある気がする。 パリの場合、そういった場所は贅沢な時間を使うため場所だったきがしたけど、日本では行き場のない人が行く場所のように思えるのはなぜだろう。(特に都市部の)公園自体に入り辛いのはなぜだろう。 河原や公園や図書館って、町のなかにありながら、広大な外側へ繋がっているような開かれた空間な気がするのに…。ただ、今日ココにはその贅沢な時間と場所を共有できる友人がいる。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [ Home-Made Story2 ] 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ::::::メニュー&レシピ:::::: ・タコライス ー材料ー ご飯適量、とろけるチーズ適量、レタス適量、トマト適量 ひき肉(牛か豚か合びき)適量、タマネギ、塩こしょう適量、ケチャップ+醤油+ソース適量 ー作り方ー タマネギをみじん切りにして、ひき肉といためる。それに塩こしょう適、ケチャップ+醤油+ソースを適量を入れて適当にいためる。ご飯にとろけるチーズとレタスとトマトとさっきのいためたものをのせて完成。 ::::::ストーリー:::::: 『タコライス』 元彼の家に住んでいた時、立ち読みをしていた本屋で「これが食べたい」と突然つぶやかれ。 家に帰って作ろうとしてみたけど、途中から面倒で適当に作ってみたら、「これが食べたかった」って言ってくれて、うれしかった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 結局、彼女の「Home-Made Story」タコライス試食会は、MACにいつものようにゲストが何人か遊びに来たことで、テーブルを囲んでの発表会になった。 彼女のタコライスはあの独特な香りの「チリパウダー」などは全く入っていない為、タコライスではなく、「そぼろごはん」のような味だった。しかし妙に安定感のある味に、そこにいたみんなは「タコライスじゃない…、けど…、うまいかも…」とか「もしかすると…、俺もこれを食べたかった…のかも…」と、全員完食した。 タコライスを作った彼女自身はというと、ストーリー発表後、「本当に、数年前のそのとき以来にこの料理を作ったから、キッチンのことや食器の色とか、その時のことを今日料理しながらどんどん思い出して…」と少し興奮していた。 #
by homemadestory
| 2009-08-16 16:48
| story1
『Home-Made Story』 HOME【家、ホームタウン、家族など】で作られたSTORY【物語】をいろいろな人から集めアーカイブし発表する企画。 「そんな些細な/個人的な話なんて発表しても…」と思うかもしれないが、テレビで流される「世界のびっくりニュース」や「感動秘話」なんかよりも、そんな些細な個人的な物語は、色々な人の記憶に深く反応するし広がりを持っていると思う。生活感があって生きてる話だし。 このブログは『Home-Made Story』レシピ版。 シェフがテーブルに出した料理に「今日の料理は…」と素材や味付けについて説明するように、プライベートな宴会や食事会の場所で、参加者何人かに料理を作ってもらい料理を出す時に「この料理は、昔…」とその料理にたいして持っているストーリー(個人的なこと、家族のこと、恋人とのこと、友人とのこと…)を発表してもらう。 さらに「宴会/パーティー/食卓の風景」「各料理にまつわる個人的な些細な物語」「記録されない家庭の些細なレシピ」を記録しこのブログで発表する。 とりあえず、大学生の頃から、夜な夜な何となく行われて来た、友人や家族との食事や宴会を記録したらおもしろいだろうなぁ、と思っていた。でも、写真だけじゃ物足りないし、プラスαで何かエッセンスが加えられるのではないかと考えた。 #
by homemadestory
| 2009-08-15 22:02
| H-M Story とは?
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